予防原則(Precautionary Principle)とは、簡単に言ってしまえば「君子危うきに近寄らず」ということ。正確には、1998年1月26日に出されたウィングスプレッド会議の合意声明の中に示された次の内容です。「ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがある時には、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置(precautionary measures)がとられなくてはならない」
食の分野で言えば「化学物質や遺伝子組み換え技術などに対して、環境に重大な害や健康被害をもたらす恐れがある場合、かつまた、それが取り返しのつかない影響を及ぼす恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されていない状況でも、それを禁止、規制することができる」という考え方や制度のことです。

予防原則は人類の知恵

産業資本主義が勃興して以来、環境汚染や人間の健康被害が頻発しました。これ以上は人類の存亡にかかわるという段階になって生み出された歴史の上の知恵が予防原則と言えます。

ヨーロッパに見る予防原則の例

ヨーロッパでは、食品の安全などについては当然のこととして受け入れられ、予防原則に基づいた政策が取られつつあります。例えば、米国産牛肉には遺伝子組み換え成長ホルモンが使われていることで、EUではBSE問題の後、1988年から米国産牛肉、牛肉関連製品の輸入を禁止しています。

日本では・・

日本でも、食品衛生法(第四条の二)で「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いのあるもの」の販売が禁止され、食品安全基本法(第十一条の三)で「人の健康に悪影響が及ぶことを防止し、又は抑制するため緊急を要する場合で、あらかじめ食品健康影響評価を行ういとまがないとき」は危険性を評価することなく必要な施策を策定することを定めています。これを「予防原則」とはしていませんが、悪影響の恐れがある場合に未然に防止・抑制するということです。しかし、日本政府は「予防原則」という言葉も使いませんし、この原則を実行する努力をほとんどしていません。
それは、福島第一原子力発電所の大事故の後、原発を再稼働させようとしている点に明瞭に示されています。どんなに科学技術の粋を結集して原発を作っても、どんなに優秀な技術者たちが、考え付くあらゆる安全対策をもって管理運営しようとも、わずかであっても事故のリスクは残ります。そのわずかなリスクが現実のものとして起こってしまったとき、被害の大きさは計測不可能、日本民族の生存にまで関わるところまで拡大することもあるのです。そして、不可逆的(元へ戻せない)な被害であることも事実。福島原発の周辺に住んでいた人たちは故郷の自宅へは帰ることができませんし、世界中の海に放射能汚染を拡散しつづけています。予防原則を適用したら、日本中の原発は存続できません。万一、重大事故が繰り返し起こったら、被害の規模は政府も責任はとれないくらいに拡大してしまう可能性があるからです。

被害認定の遅れが被害をさらに拡大させてきた悲惨な歴史

新しい科学技術は、環境や人体への影響が十分に予測できません。使われ始める頃はその有害性を十分に認識できないのです。それが広く発展して技術が行き渡り確立してしまうと、今度は管理や変更が難しくなってしまいます。PCBやアスベストからDDT、有機水銀、カドミウム、ダイオキシンに至るまでそうでした。
たとえば水俣病です。水俣病は有機水銀中毒で脳や神経組織が破壊される病気。1952年頃から水俣湾周辺の漁村で猫、カラスの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を発現して七転八倒の苦しみの末に死亡する住民が出てきますが、原因のメチル水銀の垂れ流しを停止するまで16年もの歳月を要し、その間胎児から老人に至るまで被害者を生み続けたのです。1956年、公式に確認された水俣病は、「奇病」と言われ、口や手足のしびれから始まり手足の震え、言語障害、視野狭窄、難聴、歩行困難など悲惨な病状を呈するに至り七転八倒の苦しみの末に死んでいく。しかも、メチル水銀は胎盤を通じて胎児に移り、子供まで水俣病の惨禍に侵されたのです。日本で最大の化学会社であったチッソが水俣湾に放出したメチル水銀に汚染された魚を食べた人々に被害が広がりました。チッソ工場からの廃水が原因であると疑われましたが、政府は汚染を止める措置をとらないばかりか、水俣湾の魚を食べることも禁止しなかったのです。ようやく1959年になって、熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表。1968年、発見から16年後になってようやくチッソはメチル水銀汚染の元となっていたシステムを停止、政府もメチル水銀が水俣病の原因物質であることをしぶしぶ認めたのでした。2015年になっても補償の問題が完全解決には至っていません。

経済優先に呑みこまれる健康被害

水俣病の問題に限りません。一部の医師が健康被害に気付いても、その害が社会的に認知されるようになるとその地方の経済が脅かされると逆に告発者が非難されるようになるのです。その害の発生元はたいていその地方経済を支えている大企業。そこで働いているのは多くの地元の人々です。経済を優先するか環境保護を優先するかという「二律背反」が持ち出され、健康被害の発見者は経済の壁によって攻撃されるはめになります。企業(会社)はより多くの利益を投資家(株主)に配当する義務があり、それが第一の目標で活動しています。利潤追求のみが目標ですから、それに役だつようにほかのことが位置づけられるのです。工場で発生する廃棄物を自分で処理するのではなくそのコストを外部(地域社会)へ回して顧みません。安上がりですから、廃棄物を環境へ垂れ流すのです。そんなことが世界中で起こっています。

社会のリーダーに求められる予防原則の考え

また、予防原則の考え方は、専門家(科学者、技術者)と社会のリーダー(政治的指導者)の関係についても明確な役割分担を規定します。科学技術に関することでは、専門家はその可能性を追求することに熱心です。当事者でもあり、それで生活しているわけですから、当然のことです。しかし、科学的には素晴らしい可能性があるとしても、環境や人間の健康に被害を及ぼすこともあります。その場合、社会のリーダーの役割として、予防原則に立脚してその研究開発や実際の事業に規制をかけなければならない義務があるのです。そのまま進むか、止めるか、それを決めるのは専門家ではなく社会のリーダーです。専門家に任せてはおけないのです。

原発について予防原則に立ったドイツ政府の決定

その実例があります。福島第一原発の悲惨な事故を見てからのドイツ政府の決定です。専門家チームのグループと非専門家のグループが、原子力発電をどうするか討議してそれぞれが結論を出しました。専門家グループは、問題があってもそれは技術的に解決可能であるから推進すべきとしました。非専門家グループは予防原則を支持しました。「原子力発電には、どんなに性能がいい設備を用いてどんなに優秀な技術者が注意して運営しても、リスクは残る。その残余のリスクが発現したとしたらその被害の程度や規模は予測不能であり被害の修復も不能であるという結論。理科系の教育を受けてきたメルケル首相でしたが、倫理的な面からドイツ政府として原発にノーという判断を下し、段階的に原子力発電所をなくしていくという政策を決定したのです。

政府と産業界が採用する「意志決定の科学」・リスクアセスメントの中身

予防原則という言葉は、ドイツで1970年代から出てきました。1992年の地球サミットで採択された「環境と開発に関するリオ宣言」第15原則に明記されたのをきっかけとして、さまざまな国際協定や規制のほか、各国の国内法などに採用されています。ただし、日本の法規制では、「予防的取り組み方法」という用語は使われるようになってきていますが、予防原則は採用されていません。
従来は(今でも)、政府や産業界は「意思決定の科学」としてリスクアセスメント(リスク評価)という方法に依存していました。それは、環境汚染は自然の力によって無害にできると想定し、人間に対する化学物質などの作用は摂取量が少なければ少ないほど小さく、多くの場合ある量以下になると作用を及ぼさないと想定することを前提にしています。その上で、どのくらいの量なら許容できるかということを追求するのです。その結果は、科学的証明が不十分のために有害性がないとされるか、定量的判断(例えば1kg中3mgなら安全)となります。農薬についても、放射能についても、汚染物質すべてについて、ここまでの量なら大丈夫といわれます。しかし、その閾(しきい)値(許容される量)は「合理的科学的」方法によるとされるのですが、政治や利害関係者だけで「ある科学的仮定」に基づいて恣意的に決められることが多いのです。

健康を守れないリスクアセスメントから予防原則へ

リスクアセスメントは結局のところ、汚染から人間の健康や環境を守ることができませんでした。反対に、ほとんどの場合その妨害をしてきました。汚染の加害者に口実を与え、「許容できるリスク」だから問題なしとして汚染を続けることを許可してきたのです。そこで登場したのが予防原則の考え方です。1992年環境と開発に関する国連会議が出したリオ宣言を引用します。

「環境を守るために、予防方法は各国が能力に応じて広く採用すべきである。重大なあるいは回復不能な損害の脅威がある場合、十分な科学的確実性に欠けることを、環境劣化を防ぐための費用効果的方策を先延ばしにする理由として、使うべきではない。」

アメリカはこの宣言に署名し、批准しました。日本は署名しましたが、批准はまだしていません。

そして、1998年1月26日に出された予防原則に関するウィングスプレッド会議の合意声明です。ウィングスプレッド会議に参加した科学者、哲学者、法律家、環境活動家たち、32名は3日間にわたる会議の結果、例え科学的な確実性がなくとも先行措置をとらなければならないと結論を出しました。会議は、政府、企業、共同体、そして科学者たちに政策決定にあたっては予防原則を適用するよう要求する声明を発表したのです。

有毒物質の排出と使用、資源の開発、環境の物理的変更は、人間の健康と環境に影響を及ぼす重大な意図しない結果をもたらした。それらにより引き起こされる懸念には、地球気候変動、成層圏オゾン枯渇、有毒物質及び核物質による世界中での汚染とともに、学習障害、喘息、がん、先天性障害、種の絶滅などがある。

我々は、既存の環境規制や施策は、特にリスク評価に基づくものは、人間の健康と、より大きなシステムで人間はそのほんの一部である環境を適切に守ることができなかったと信じる。

我々は人間の行為が危険を伴うかも知れないということを認識しているので、人々は最近の歴史における事実を鑑み、もっと注意深く進める必要がある。企業、政府、組織、共同体、科学者、個人は、全ての人間の行為に対し予防的アプローチ(precautionary approach)を採用すべきである。

従って、予防原則(Precautionary Principle)を実施する必要がある。: ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがある時には、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置(precautionary measures)がとられなくてはならない。

このような状況においては、証明の責務は市民にではなく、行為を行なおうとする者にある。

予防原則(Precautionary Principle)を適用する過程は公開され、知らされ、民主的でなくてはならず、影響を受けるかもしれない関連団体を参加させなければならない。また何もしないということも含めて代替案について十分に検討しなくてはならない。